『自由を手にするその日まで』天野友二朗監督インタビュー

初監督作『自由を手にするその日まで』で、映像、音楽、演出などあらゆる面で、インディーズの枠組みを遥かに超えたクオリティを観せてくれた天野友二朗監督にインタビュー。
今後の飛躍が確実視される、映画界期待の26歳の思いとは―。
じっくりとご覧ください。(※インタビュー 2017年5月 都内にて)


 

――映画との出会い

映画に興味を持ったのは、小学校2年生の時に観た『タイタニック』でした。
なんて素晴らしい映画があるんだって思って、何回も繰り返し観て。
あれだけ愛し合ってた二人が、なんでラストシーンでこうなってしまうんだって、どうしても納得がいかず、当時担任の先生に問い詰めたりするくらいにはまりました(笑)。
算数の授業で、立方体を作るという授業中の課題で、自分一人だけタイタニック号の模型をペーパークラフトで作るくらいに好きな作品でした。
それが今考えれば原点だと思います。

 

――学生時代について

一時は、母が油絵を書く人だったので、家にもたくさん画集があったことから絵にも興味を持って、中高時代は絵の世界もいいなと思い油絵もやっていて、佐藤太清賞もいただきました。
でもそのときの仲間に映画好きがいて、面白い映画をたくさん紹介してくれました。
そこでタランティーノ監督の作品を紹介してもらって、”なんてひねくれた良い映画を作る人”がいるんだって衝撃を受けました(笑)
それ以降、もともと眠っていた映画製作への熱が再び芽生え始めました。

僕はどちらかというと何本も映画を観るタイプじゃなくて、一つの映画を何回も繰り返し観るタイプなんです。それで、なんでこんなに面白いのかな?と分析して。
観ているうちに、ここでこういった音楽を入れて、このリズムでカット割ってるんだってことに気付いて、シビレるなと。
『キル・ビル』(オーレン・イシイ:ルーシー・リュー)の頭が切れて脳が見えるシーンを何度も観てたら親に怒られました(笑)

――大学は医学部。授業中に”友二朗交響曲”を作曲!?

その中でも医者にならないけど、研究ができる生命科学科というところに入りました。

大学には映画サークルがなかったので、5歳からバイオリンをしていたので、それを活かしてオーケストラサークルに所属しました。
でもそのうち、ベートーベンとか人が作った曲を弾くのは面白くないなと思って、”友二朗交響曲”っていうのを作っちゃえって、授業聞かずに作曲してました(笑)サークル内でも、ちょっとヘンな存在だって思われてましたね。

その時、たくさんの曲を作ってストックしておいて、いつか映画を作ったときにBGMに使おうと思ってました。『自由を手にするその日まで』でも使っています。
当時付き合っていた彼女の為に作った曲もあったんですが、それを後々映画に使っちゃったので、後々「使うな!」って怒られました(笑)

 

――アートとサイエンスの相容れない世界

自分が元来目指していたアートの世界は、作品を通して、見た人の感情を動かすものです。
作り手は、『感情という形無き物』を作品として形にしていき、それを鑑賞したも人は、正の方向であれ、負の方向であれ感情が少し動く。
鑑賞者は、感情という形のないものを揺さぶられる体験に対して価値を感じ、対価としてお金を払います。

一方で、自分が実際学んだサイエンスというものは、一切の感情を介在させずに、データと数値のみで真実を突き詰めていく世界で、元来自分が目指していた方向とは真逆だと思いました。

自分は、人の感情を動かしたいなと思ったんです。
それで、みんながプラスの方向に感情を動かす作品を作るなら、自分はマイナスの方向に動かす作品を作りたいなと。

――『自由を手にするその日まで』製作序章

昔タランティーノの『パルプフィクション』を観て、途中まで感情移入していた人物が、バッサリと死ぬドライな展開に衝撃を受けました。
死んだ後も映画は待ってくれずに時間が流れていって展開してしまうので、そこに気持ち悪さを覚えて。
その気持ち悪さがクスリのように病みつきに思えてしまって…。
このモヤモヤを人に植え付けたいなと思いました。

それで、できるだけ人の神経を逆なでするような気持ちを表したものを、『自由を手にするその日まで』という作品のコンセプトにしようと思ったんです。
人がAという想像に進むのなら、そうじゃないBという方向を目指した映画を作りたいなと。
インディーズだからこそ、可能な限りカタルシスや予定調和を避けた展開にしようと思いました。

大学・大学院時代は、映画とは関係ない学部の中で一人だけ映画製作に目覚めて学生映画を作っていました。
就職を機に単身で上京して、信頼とコネクションがない中で作品を撮るにはどうすればと良いかと、戦略を考えました。

そこでまず脚本を書き、そして大学の時に作った曲と新たに作った曲を組み合わせて、新日本BGMフィルハーモニーに演奏依頼をしてBGMの音源を得ました。
その脚本と音源を持ってキャストの選考を行った方が、出演者もイメージしやすいだろうと考えました。
それが2015年の12月頃です。
結果120名くらいの出演希望者が集まりました。

――『自由を手にするその日まで』の狙い

喜怒哀楽という感情があるのならば、喜びとか楽しさとかをラストに持っていって観客を納得させることが、マーケティングとして正しいのは分かります。
僕もいずれはそういった作品を撮ることになるのだろうけど、やっぱり本作はインディーズだからこそ、そういった消費的な映画は撮りたくないと思ったんです。

映画を通して、感情を飲料水のように購入して、飲み込む。
そして映画が終わったら、見た人が家に帰った後「ああよかった~」なんてホッとして、喉元過ぎれば熱さを忘れるような作品。
そういうものにはしたくなかったんです。

カタルシスを避けることで、ラストを観て納得がいかなければ、観客は家にその感情を持ち帰って、自分の中で消化するだろうなと。
とにかく観て簡単に納得いかないものを作りたかった。

もちろんずーっとこれをやっていくわけいかないのは、わかっています。
しかし、駆け出しの今は自由にできるからこそ、それでいいんじゃないかと思っています。

次回作以降は、同じことを繰り返すつもりは無いです。
ずーっとサイエンスのフィールドばかりを題材に繰り返していたら、やっぱり医学の世界しかできないからって思われちゃいますから、”初回のみ限定”という気持ちです。

PROFILE


天野友二朗
1990年生まれ 兵庫県出身
大学院在学中、医学系の研究を学ぶ傍ら、かねてからの夢であった映画製作に独学で着手。
5歳からバイオリンを習っていた経験を活かし、自らBGMの作曲・演奏も行う。
油彩画での入賞経験も活かし、監督自ら作画・美術・特殊造形などまで手掛けている。
低予算でありながら、独特な世界観とクオリティーを仕上げるのが特徴。
『自由を手にするその日まで』が初監督作となる。

 


――取材を終えて

映画については真剣な眼差しで、圧倒されるしまうほどの熱量でお話いただいた天野監督。
こちらもアレもコレも聞きたくなる魅力のある方で、気付けば取材時間は2時間半ほど経過しておりました。

映画内容はシリアスで、狂気性も感じさせてくれる作品ですが、実際の天野監督はこんな方というエピソードを一つ。

2017年4月に行なわれた『自由を手にするその日まで』上映会での開場を入り口付近で待っていた時の出来事。
女性のお客様がお二人でご来場。
お話しながら入り口の階段を上がっていく時、フト耳に入ってきてしまったのが
「天野さんって本当にいい人だよね~」という会話でした。

今回の取材中にも、「僕の作品は基本的に執着心とか、しつこさ、脅迫観念的なところをテーマにしていますが、じゃあ僕がどうなのかと言ったら、違います(笑)
作品は作品、人は人です(笑)」ということも言われておりました。
実際お会いすると語り口もソフトで、作品とのギャップにビックリされるかも知れません。

5月7日(日)にエムズカンティーナで行なわれる『自由を手にするその日まで』上映会には、天野監督をはじめキャストの方の来場予定です。
ぜひ、お出かけいただき、直接、天野監督からのメッセージを受け取ってください。

 

上映情報

『自由を手にするその日まで』上映情報
会場 M’s cantina (エムズカンティーナ)
住所 世田谷区上馬4-4-8 2F(駒沢大学駅西口 徒歩1分

20107年5月7日(日) ~1990年生まれ監督特集~
13:00~ Aプログラム: 石橋夕帆監督『ぼくらのさいご』、『atmosphere』
14:50~ Bプログラム: 藤村明世監督『彼は月へ行った』、小川修平監督『さりげない人々』
16:35~ Cプログラム: 中山剛平監督『したさきのさき』、宗俊宏監督『CAMEO’n me』
18:30~ Dプログラム: 天野友二朗監督『自由を手にするその日まで』

各プログラムごと監督のトークショーあり
「自由を手にするその日まで」上映時には出演者も登壇予定。
※各プログラム1500円、通し券1800円 (共にドリンク代別)